ぼくのナイフ展レポート 2011
3月11日の東日本大震災で地震と津波で甚大な被害を受けた仙台にある名門刃物店・中山商店では、中山文孝社長とお客様達が一時中断していた「ぼくのナイフ展(第14回)」を震災に負けるかと半年後の9月10日と11日に開催され、マトリックス・アイダも応援に伺いました。
ぼくのナイフ展レポート
1. 会場入り口にはテーブルが用意され、お茶やお菓子でナイフ談義に花が咲きます。
2. 中山商店さんのビルも被害を受け、タイルも落ちも奥深いひび割れが入っていました。
3. 手作りの「ぼくのナイフ展」の看板です。
4. バーキングを使用した作品から、手作りながら丁寧に美しいフラットグラインドのナイフ、初めてのナイフまで心のこもった作品が数多く並べられています。
5. 九州・福岡県の篠崎暁生さんも中山社長さんと同じ群馬県の出身ということで話しが合って1,500kmの旅をしたナイフが出品されていました。
6. すべてのナイフにナンバーが振られ、来店された方々が一人三点の気に入った作品を選んで投票し、二日目の午後開票され発表されました。マトリックス・アイダ提供の賞品は実行委員会から下記の方々に手渡されました。
(ア) 『ご希望の鋼材 五本』 佐藤正行さん
(イ) 『極上 サンバースタッグ 一組』 荘司慈敏さん
(ウ) 『エボナイト・ハンドル材 四枚』 辻 務さん
7. 中山社長と親交の深いナイフメーカー大垣宗義さんも東京の町田市から友情参加され素晴らしいプロの作品を展示しておられました。
8. 震災当日から、石巻、気仙沼という凄まじい被災地に人命救助に入り、その後150日間休まず救助救援に当たった陸上自衛隊員の自作のナイフも展示されていました。ご本人も休みを取り会場で一人の実行委員として楽しそうに働いていました。(※写真のナイフはダガーではありませんでした)
これらの無骨ながらたくましいナイフが多くの人々の命を救い、多くの犠牲者を瓦礫の中から探し当てたのです。今の暑さの中で想像することは難しいですが、震災時現場は雪が降り氷点下の中での休む暇のない活動で、指や手の感覚が無くなる厳しい状況の中では、大きなヒルトあるいはガードが必要だったと振り返っておられました。
これからは、あの時救援に駆けつけてくれた西日本の自衛隊への恩返しに、台風で大きな被害の出ている紀伊半島への出動も準備しているそうです。
9. 当日は恒例の「第21回・仙台ジャズフェスティバル」が仙台駅から定禅寺通り付近で開催され、全国から700グループが演奏に訪れ、観客も東北、関東はもちろん全国から集まり市内郊外の宿泊施設は満室の盛況でした。市内は復興、海岸は手つかずです。
11日の午後2時46分すべての楽器が「A(ラ)」の音を1分間奏で、街中の人々が被災した方々へ「鎮魂・祈り・再生」を願う時を共有しました。「A(ラ)」の音は昔から、人間の心の中に深く響く音として、お寺の鐘の音や仏壇の鐘の音でもあり、赤ちゃんの誕生の産声も「A(ラ)」の音といわれているそうです。
皆様のご協力のおかげで「ぼくのナイフ展」は盛況で、出展品もたくさん集まり、大成功でした。
たくさんのご協力、そしてお気遣いありがとうございました。